震災当時の事でも書いてみる

久しぶりに書くと、やり方忘れてます。500日以上も書いていたのにね^p^


さて、今更感満載ですが、東日本大震災から1ヶ月以上経ちました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
当のいもまるはと言いますと、エントリーシートの提出云々でアップアップしております。ごめんなさい。
ここから先は、長くなりますが当時の事をつらつらと書いてみます。


東日本大震災が起きた当時、ボクは京都にて会社説明会を受けていた最中でした。
その日は、説明会が終わってからネトゲギルメンの人たちと日帰りで大阪にて食い倒れをする予定でいました。
そして、人事さんの質疑応答の時間、午後2時45分頃でしたっけ・・・
ふと、めまいのような感覚に襲われ、呑気にも「あれ・・・こんな所で・・・?」などと思っとりました。
しかし、次第にめまいではなく、わずかに、だけど長く揺れているのでは?という気がして、
最前列でしたが一緒に来てた相方に「もしかして揺れてる?(ボソ」と囁くと
「うん、(投影式の)スクリーン揺れてる(ボソ」と返され、あぁ、地震か。と気付きました。
が、その時はまだただの地震だと思っており、説明会なので震源地を調べることができませんでした。


説明会が終わり、mixiニュースをみると「宮城県震度7」という見出しが・・・
「え、宮城・・・?京都でも揺れたよ・・・?」と焦燥感に駆られます。
次々に更新されるニュース。
巨大津波の発生。
「どういうこと? 何が起こってるの?」 
更新されるニュースは、どれも写真と文字。
情報が混乱していました。
そこで、ふと石巻ネトゲの友人がいることを思い出し、無事かどうかのメッセージを出しました。
結論を先に述べますと、間一髪で津波から逃れ無事でしたが家を失い、現在は親戚の家で過ごしているとの事です。


移動しようとすると問題が生じました。帰路です。
地震の影響で東海道新幹線が運休になってしまい、その日に横浜に帰るのが不可能になってしまったのです。
何とかギルメンの人たちと合流し、その日は相方さんと一緒に新婚さんのギルメンのお宅にお世話になることにしました。
日帰りのつもりだったのでリクルートスーツのみしか着るものがなく、ユニクロで服を買い、
化粧道具や洗顔類の最低限のものを買いそろえ、お世話になるお宅へ着きました。
とにかくきちんとした情報が知りたかったので、テレビを付けて頂き、現状を確認しました。
「何だこれ・・・・」
津波で流れていく車・建物、必死に逃げゆく人々、燃えた建物を運ぶ津波
地獄絵図というのも生ぬるい、まさに非現実的な映像。
言葉にならない。
被害が分からない。
いつ、自分たちが帰れるかもわからない。
「これは、阪神よりひどいかもな・・・」
ああ、そうか・・・ここの人たちは1度震災を経験してるんだ・・・
そんなこんなで、阪神淡路大震災の時の体験談、そればかりだと気が滅入るのでネトゲの話を挟みつつ、
また現状についての談義・・・そして体験談・・・これを気付けば3〜5時間していました。
それくらいしか、当時は出来ませんでした。
そして「これが夢ならば早く目覚めてくれ・・・」と思いながら午前2時ごろ就寝しました。


次の日の朝。
前日にメールを送っていましたが、確認のため母親から電話がかかってきていていました。
ボクの親は何かと厳しい人(門限あり・泊り禁止)かつ非現実世界であるネトゲを毛嫌いしている人なので、
泊めてくださった人に悪いとは思いつつ、どうしても見知らぬ人のお宅にお世話になっていることを言えずに
「新大阪のホテルに泊れた」とウソを言ってしまいました。
結果的にお世話になったのは1日で済みましたが、ウソをついたことが恩を仇で返したような気がして
今でも「あの時どうすればよかったのだろう」と自分を責めることがあります。


この日は午後8時の新幹線を一先ず予約していたので、それまでの時間をつぶすために予定通り食い倒れをすることになりました。
うどんを食べ、たこ焼き屋を2件回り、またーりネトゲ談義という流れの中でも
「楽しんでるこの瞬間に、地元で地震が起きてるかもしれない」
という恐怖があったため、とても楽しかったのですが、心の底から楽しむことはできませんでした。
ですが、向こうの人の温かさはこっちとは違うことだけは、今でも強烈に残っています。
もしかしたら阪神大震災の経験から来ているのかもしれませんが、見知らぬ土地で
安息を求めていた自分たちにとっては、これ以上にない贅沢な安心を得ることができたので、
涙が出るくらい、お世話になった方々に本当に感謝しています。


震災は、日本を変えました。
日本のみならず、人の人生をも変えました。
石巻の知り合い、福島のいわき市の知り合い、その人たちの日記を見ると
本当はとても辛いのに、逃げ出したいくらい苦しくて、誰かに助けてもらいたくてたまらないのに
「性欲がムラムラして大変だけど、何とかやってます」
「整理したラノベの本棚が余震で何回も倒れる。また土日返上か・・・(」と
笑えない状況でも何とか生きるために頑張っています。


「がんばろう、日本」
頑張ることは確かに大事。
でも、たまには泣いたっていいじゃないですか。
「がんばろう」なんてキレイごとじゃ済まされないことだってあるんです。
増してや、頑張ってもない人に「頑張れ!」なんて言われても、腹立たしいだけじゃないですか。
少しずつ、少しずつ、元に戻していきましょう。
もう3月11日以前の便利な世の中には多分戻れないけど、3月11日より安全な日には戻れるはずです。
もう2度と悲しいことが起きないように、起きても少しでも被害が減るように
自分で出来ることをしていきましょう。







うまくまとまらなくてごめんなさい(´・ω・`)